アパートの自室に帰宅し、連れ帰った少年を居間に待たせると、ジャスティンはすぐさま洗面所に駆け入り鏡を覗き込んだ。瞼を押し開いて二本の指で慎重に眼球を覆う物を取り外すと、安堵の息を吐いた。もう痛みはなかった。目を開けていることも出来ないほどの、刺すような痛みは。
その人差し指の腹に載っているのは、装着した者の瞳を黄色に変える、色の付いたコンタクトレンズだった。
彼は以前から、気に入っている映画の登場人物―絶対的な支配力を持つ闇の人物―が独特のの瞳の色をしているのに憧れを抱いていた。いつしか、その瞳の色を真似れば、その支配力が一片でも自分の物になるのではないかと夢見るようになった。支配力、それが彼が長年温めている空想のテーマだった。
それは気休めにしかならないかもしれない思いつきだったが、実際に購入して装着し、鏡を見てみると、その新しい目の色は彼を満足させてくれた。それはいかにも異様な存在に彼―実際は平凡な外見の青年―を変えてくれるようだった。彼は自分から、いつもはない力のオーラが発散されているのを感じた。きっとこの力は、彼の愛の営みを助けてくれるに違いない。そう彼は確信した。
彼はこのレンズを着けて、いつものようにクラブ312で相手を物色していた。今宵、彼の愛の対象となる相手を。その自宅の寝室にはまだ、前回の愛の相手が首の無い姿で転がって腐敗していたが、彼は気にしなかった。
新たに付与された力の賜物か、首尾良く、黄色の目を格好いいと言ってくれるアジア系の少年―成人しているかもしれないが、彼はアジア人の年齢を外見から推測するのが不得手だった―を拾ったまでは良かったのだが、彼の家に行こうとクラブを出て夜の風を浴びてから、レンズを入れた目がどうしようもなく痛み出し、涙が止まらなくなってしまった。
瞼と眼球の隙間を慣れない異物が占拠した上に、塵まで侵入すれば無理もない話だった。少年は心配して手鏡を貸してくれたが、タクシーの照明の下では取り除くべき塵が見えるはずもなかった。そのため、彼は帰宅後こうしてレンズを外して、連れ帰った少年の相手をしなくてはならなくなった。
水で入念に目を洗ってレンズをしまい、鏡を見上げると充血した自分の目と目があった。生まれたままの、自前の菫色の瞳と。それは彼にとっては何の変哲もなく、驚きのない眺めだった。もう自分の周りに支配力のオーラを見ることはできなかった。いかなる力も、レンズと共にその欠片も残さず彼の中から消え去ってしまっていた。
彼の、少年への支配力も消え失せてしまったに違いない。彼は事の成り行きにがっかりした思いだった。折角新奇な目の色で少年を魅了できたのに。少年も、不思議な眼光に魅せられてついてきたというのに、その相手が冴えない男に変身してしまっては、さぞかし失望することだろう。
しかし追い出すわけにも行くまい。今から今夜のねぐらを探させるのも無情な仕打ちだった。ジャスティンはとりあえずコーヒーを淹れるために、シンクの中に突っ込まれたままの汚れたカップを洗い、湯を沸かし始めた。
居間に戻ってみると、少年はおとなしくソファに座って待っていた。寝室への扉は閉まったままだった。少年はテレビをつけて見ていたが、ジャスティンに気づくと振り返って尋ねてきた。
「目は大丈夫？」
カップをサイドテーブルに置き、ジャスティンは肯いた。その顔を、少年はかすかに驚いたような表情で見上げていた。
「それが、あなたの本当の目の色なの？」
その口調には、純粋な疑問よりも、問い質し責めるという性質が込められているようにジャスティンには思えた。
「黄色の目が格好良かったのに、話が違うじゃないか」と。
ジャスティンは仕方なく肯いた。少年を裏切り、傷つけてしまった思いで胸に痛みを覚えた。
案に相違して、少年はにっこりと彼に笑いかけた。
「そのままの方が綺麗なのに」
そう言うと真っ直ぐ、ジャスティンの瞳を覗き込んできた。
少年が自分をうっとりと見上げているのを前にして、ジャスティンは軽く目を見張った。それは彼にとって、予想もしなかった答えだった。今までそのようなことは誰にも言われたことはなかった。この瞳の色に、人を魅了する力があるなどと、ついぞ考えたことはなかった。この新しい情報に、有頂天になっていいものだろうか？彼は疑わしく思った。もしかしたら、アジア人の少年にとって紫色の目は珍しいだけかもしれない。
彼は返事をしなかった。どう答えていいか分からなかった。少年は気にした様子もなく、感謝の言葉を呟きながらカップを手に取り、口を付けた。ジャスティンは、少年が濃いコーヒーを飲むのを、ただ見つめていた。通常の使用量の数倍の睡眠薬が入れられたコーヒーを、少年は美味しそうに飲み干した。
数十分後―ジャスティンは、しばらく落ち着き無く歩き回っていたが立ち止まり、ソファに横たわって穏やかな寝息を立てている少年の顔を見下ろしていた。彼は迷っていた。この少年を手にかけるべきか否かを。
これは、彼には珍しいことだった。いつも彼は、犠牲者が昏睡状態になるとすぐに絞め殺し、自分の所有物にしてしまっていた。それは彼にとって、魅力的な若者を自分の下に引き留める、唯一の方法だった。大抵の相手は、彼の提示する金や食事、一晩の暖かなベッドにしか興味が無く、そうしなければ翌日には彼の下を去っていってしまうことが明白なのだから。それは彼にとって当たり前の行為に過ぎなかった。
しかしこの少年は、これまでの犠牲者とは少し違っているようだった。思えば、少年は彼が誘いかけるまでもなく、酒場の隅で若者達を睨めつけ、値踏みしている寡黙な男に自ら近づいてきたのだった。それがどんなものか彼には分からなかったが、この少年が彼になにがしかの魅力を感じているのは明らかだった。
そしてそれが今の彼を混乱に陥れていた。自分に関心を示してくれる相手を殺してしまいたくはなかった。彼にとって少年は、これまで出逢ったことのない、あまりにも稀少な存在だった。それを手にかけてしまうことを惜しむ気持ちが、自分の中に芽生えていることにジャスティンは気がついた。
だからといって、どうやってその想いに応えればいいのか、彼には皆目見当がつかなかった。それはジャスティンにとって、未知の世界の出来事だった。魅力を感じる相手に彼もまた愛され、生きた相手と体験を共有するというのは。その空想はひどく現実離れしていて、彼を怖気づかせた。そんなことはこれまでできた例しがなかったし、これからできるとも思えなかった。
彼に分かっていたのは、この、自分に好意を持つ少年に去られることは、自分に関心の無い相手に去られる以上に堪え難い体験となるだろうということだけだった。今の彼は、今までの獲物達以上に、この少年を失うことを恐れていた。相手の好意が長続きするか分からない以上、生かしておくことは即ち、いつか失うことと等しかった。そのような不確実性は、ジャスティンの愛の流儀の採るところではなかった。
いつか捨てられるという恐怖に脅かされながら、どうして相手を愛せるだろう？そのように相手の愛に依存することは、相手の支配に屈することでもあった。彼は、自分が支配する以外の愛の形を受け入れることができなかった。彼はこれまで絶対に裏切らない相手―屍しか愛したことはないのだ。そして今、この少年を確実に手に入れる方法についても、唯一つしか心当たりがなかった。
彼は安らかな寝顔を見せる、美しい少年の細い首にネクタイを巻き付けると、渾身の力を込めて引っ張り、締め上げた。苦痛の少ないよう、迅速に済ませなくてはならなかった。少年が向けてくれた愛情に対して、それだけが彼にできるせめてもの返報だった。
薬がよく効いたためか、ジャスティンがネクタイを手に食い込ませて引っ張っている間、少年は抵抗しなかった。すぐに、ぐったりとしたしなやかな身体はジャスティンの手に落ちた。
先程洗面所で痛みの原因は取り除いたばかりなのだから、目が不調であるわけではないはずだった。それでもジャスティンは、意志のない骸を穢している間、生前にその持ち主が褒めてくれた紫の瞳から頬へと、温かい物が伝うの止めることができなかった。
（了）
後書き△
短編『Self-Made Man』の主人公・ジャスティンの眼の色が紫であるという記述と、そのインスパイア源であるジェフリー・ダーマーの黄色のコンタクトレンズの話を併せて、テキトーに加工してみました（ダーマーが映画『ス○ー・ウォー○』と『エクソシ○ト3』の登場人物に憧れて黄色のコンタクト着けていた、という件は『FBI心理分析官2』1996年 早川書房 等の実録本にも載っている逸話であります）。紫目は萌えです。
それプラス、トランに好意向けられてもどうしていいやら分からないECのジェイともども、どうにも生身の自分に魅力があり、好きな相手とラブラブになれる可能性があることを、心底からは信じることが出来ない人間という存在としてのジャスティンを書いてみたく。両者とも、はたから見るとフツーにイケメンらしいのに難儀な奴等であります。そしてそれはそのまま、彼らのモデルとなったダーマーについても言えることなのでしょうが。謙虚もほどほどにしないとあきまへんな。…愛されることを知らないのと謙虚は違うか。
『Self-Made Man』は、作者本人が前書きで「ちょっとダーマーのまんますぎたかも〜」と書いていたので、どれどれ〜と読んでみたらば、ちょっとどころでなく、かなりダーマーのまんまでしたというお話です。シリアルキラーにインスパイアされた小説としては、あまり知られてない様なのが我不満…単に翻訳されてなくて存在知られてないだけですかね。犠牲者の頭にドリル、の話もあります。それほど耽美＆ゴージャス化されてないので、リアルにダーマー好きな方にはECのジェイよりこっちの方がぴったりくるかもしれません。
この作品、殺人者側の話だけでなく、犠牲者のタイ人少年にとってのアメリカゲイ社会事情も描かれているあたりがポピーZらしいといえばらしい作品でもあります。特に、「地元じゃ皆、小柄で細身で変わり映えしないけど、アメリカじゃーデカかったりゴツかったり胸毛＆腕毛もじゃもじゃだったり色んなのがいてたーのしーい！」にハッとさせられたりも。新鮮。
2006年9月21日