幼くして母を失ったジェシーにとって、生前の母親の記憶とは曖昧なものだった。思い出そうとしても、美しく優しかった面影がぼんやりと浮かぶばかりで一向に鮮明な像を結ばなかった。
母に関する記憶で最も鮮やかなのは、最期の姿―風呂で真っ赤な水に浸かっている、青ざめた姿だった。その姿は幼いジェシーにそれほど恐怖を与えなかった。それはあまりに美しかったから。しかし母の死に様に父は恐慌をきたし、罪がどうとか口走っていた。
少しして落ち着きを取り戻した父と、彼女の平和な生活が再開されようとした時、ある事件が起こった。母の遺体が墓から盗まれたのだ。白い廟は荒らされ、中は空っぽになっていた。父は、母の遺体に着けさせていた結婚指輪のためだろうと説明したが、小さな指輪のために遺体全てを盗む必要があるものだろうか？
釈然としない思いの彼女の耳に、街の人々の声を潜めた噂が聞くともなしに入ってきた。あの女は自殺という罪を犯したから吸血鬼になったのだ、という噂が。その頃の彼女はまだ吸血鬼というものを知らなかったが、その口吻からは賞賛すべきものでないのは確かであった。
ある日彼女は、母とは関係ない文脈で、吸血鬼とは何か父に尋ねてみた。その質問に、父は怖気を振るい、手短にその忌まわしさや汚らわしさを告げた。そして、二度とそんな存在について尋ねては、いや考えてはいけないと、彼女に釘を刺した。その返答と態度は、彼女に吸血鬼に関する強烈な印象を植え付けるに十分だった。
もし噂が本当なら、母も父の言う汚らわしい存在になってしまったのだろうか？だとしたら、父はもう母を愛していないというのか？あんなに愛し合っていたというのに！彼女は、忌まわしい怪物であろうと、母に帰ってきて欲しかった。彼女は母を愛していたから。
幼いジェシーは、吸血鬼となった母が自分と父を迎えに来る日を夢に見た。母は黒いドレスを身にまとって、この街の夜を恐いものなしで歩いていた。それはひどく美しかった。ふと、血の風呂に浸かった母の姿がフラッシュバックのように脳裏に蘇った。あれは、自身の血ではなく犠牲者の血の風呂ではなかっただろうか？ジェシーは混乱した。
母はいつまで待っても来はしなかった。父が信心家だからだろうか？そんな父を疎ましく感じるようになった頃には、彼女自身が黒いドレスをまとって夜の街を彷徨うようになっていた。別段、母を捜しに行っていたわけではない。しかし、吸血鬼を探しているのは間違いなかった。彼女を、母と同じ怪物に変えてくれる存在を、彼女は探し求めていた。
母が帰ってこないなら、同じ不死の怪物になって、こちらから捜しに行こうと言うかのように。しかしもはや、母のことはどうでもよくなっていた。同じ怪物になれさえすれば。母だって、夜の怪物に生まれ変わった時に、家族のことなど、夫と娘のことなど忘れ去ったのに違いないのだ。自由に夜歩きできる存在に、そんな肉の絆が何になろう？
そんな吸血鬼を求めるあてもない道中のある夜、ジェシーはチャーターズのはずれにある小さな淋しいバーに立ち寄った。その店の名前は噴飯ものだったが、ステンドグラスの弱い光に惹かれて、中を覗いて驚いた。彼女が探し求めていた怪物の似姿が、吸血鬼の理想というべき姿がそこに佇んでいた。ジェシーは不可視の力に導かれるように、その店に入っていった。
（了）
ジェシーが吸血鬼に執着していた理由を妄想したらこうなりました。彼女の母の自殺と、何か関係があるのではないかと。伝承では自殺者は吸血鬼になりやすい（？）とのこと。遺体が盗まれた云々は捏造もいいとこですが。
2007年6月27日