小さなバーの上階で致命的な出産が行われた晩、破壊された子宮から生まれ落ちたばかりの赤ん坊―ナッシングは、名付け親に抱かれて、窓から故郷の街を眺めていた。フレンチ・クォーターの冬の夜の、珍しく静かで人影のない通りを。
その深く青い目の底に焼き付けるかのように見つめる視界に、突然、鮮やかな色彩が飛び込んできた。もちろん誕生直後の赤子に、それが赤と金色の髪の毛であることが分かるはずもない。そしてそれは成長したナッシングの目にも映ることのない性質の存在だった。
窓の外では、髪の色以外はよく似かよった美しい少年達が、向かい側の建物の手すりに乗り足をぶらぶらさせながら、生まれたばかりのナッシングを見てひそひそ話を交わしていた。彼らはそのバルコニーのある部屋の住人ではない。新たな怪物の誕生を嗅ぎつけ、この街を根城にして永い先住の怪物として偵察しに来た、というところらしかった。いかなる貪婪な食事を愉しんだ後か、彼らの肌は瑞々しく、唇は艶やかだった。
向かいの窓を覗き込んだ赤毛の方の、口紅が塗りたくられた唇から囁きが漏れた。
「あれ、吸血鬼の子どもだよ」
「へえ、無事に生まれたんだ」
二人は笑顔を寄せていたが、その姿を幻視できる者にも、話題に上った者の誕生を寿いでいるようには見えなかった。
銀色の目で赤ん坊を睨めつけひとしきり観察すると、金髪が困惑したように眉を寄せて懸念を示した。
「どうする？子どもは食いしん坊だよ」
そして、歯のない口をもぐもぐさせているナッシングを横目で見ながら付け加えた。
「この街ごと平らげちゃうかもね」
彼は、自分達の食いぶち―快楽に弱い人間の魂―が減ることを心配していたのだった。彼らもまた人間の命を喰らう存在として、ナッシングの一族とは競合関係にあるのだ。
誕生直後の知覚にも正体不明の存在からの敵意は感じられたのか、毛布の中、クリスチャンの腕の中でナッシングは身じろぎした。その様子に、双子は揃って声高く笑い出した。
「助けを求めたって、君を抱いている男に僕らは見えやしないよ」と金髪、
「そうそう、何百年と目を開けていたって見えないだろうね」と赤毛。
そして無音のくすくす笑いが、夜のしじまに響いた。
双子が言っているのは本当だった。確かに、ナッシングに見せながら共に街路を見下ろしている不滅の目に彼らは映っておらず、耳にその笑声も届いてはいなかった。もう何十年も、双子と同じ街に暮らしていたにも関わらず。だから彼は安全だった。そうでなければ双子に魅了され、致死性の誘惑を受け入れ、もっと早くに永劫の生を切り上げていたかもしれなかった。双子と彼らはよく似た怪物同士でありながら、互いに接触することのない存在だった。
誰の耳にも届かない笑いのこだまが消えると、赤毛が頭を振ってつまらなそうに言った。
「放っておこうよ。慌てなくてもすぐにいなくなるさ」
そして手すりから滑り降りると、夜の闇にとけこむように姿が見えなくなった。
「それならいいんだけど」
心配そうに呟きながら金髪もそれに続き、姿を消した。後には街路の光だけが残った。もっとも、彼らを見る力のない者にはそもそもの初めからそれより他になく、風景は何も変わってはいなかった。
双子の気配が消えた次の瞬間、麻痺から解けたように赤子の泣き声が辺り一帯に炸裂し、夜の静寂を打ち破った。
突然泣き出したナッシングを窓から離して、その胸に抱き直したクリスチャンは、思案していた。今晩はまず、ナッシングの身体を洗い、冷えないうちに寝かせようと。そして計算を巡らし始めた。今車の中に入っているガソリンと手持ちの金で、一体どこまで行けるだろう―裕福な者達の住まう地に着くには足りるだろうかと。
誰にも聞かれることのなかった双子の予言は、こうして実現しつつあった。
（了）
ナッシングと吸精鬼達の話でした。密かにクリスチャンと吸精鬼達の話でもあります。作中の彼らが、ジラー達の到来に「ここには吸血鬼が多すぎる」とニューオーリンズを出て行ったのを見て、「え、でも君ら、今までクリッシーとは共存してたじゃないの。…彼一人ならOKってこと？」と疑問を抱きまして、そこから「じゃあナッシング生まれた時はどうだったのかな？」と発展して、色んな化学変化を経てこうなりました。
近くて遠い吸血鬼と吸精鬼の間合いも書いてみたく。吸血鬼からは吸精鬼達は見えていない、そして吸精鬼達は自分達を見ることが出来る相手にしか干渉できないってことでFA？そうじゃないとクリッシーが物凄く危険ですし。瞬く間に誘惑されて吸われてポイかと！そりゃアカン。←オマエは本当にクリッシーのことを何だと思っているのか（A・美少年にすこぶる弱くてサビシンボなことこの上ない最長老吸血鬼様）。
新生児はまだ目開かないよなぁと思うも、そこは作中からすでにぱっちり開いてるのでスルーして下さいな。この双子、この街に住んでどれくらい？15年前にいても大丈夫？とか不安な部分も有りますが、作中で明確な答えが書かれてないので気にしないことにしました。クリッシーとはこの街で長年共存しつつも、くっきりと隔てられた存在であってほしいと思います。
2006年9月30日