うだるように暑い夏の最中、墓地を訪れていた彼は、目的の墓に着いたのを知ると額の汗を拭った。歴史ある、白い壮麗な廟。そこが彼の崇拝する人物の眠る墓所であった。廟には、そこがデボア家の面々の亡骸を収容する建物であることを示す刻印が記されていた。
彼が参拝に来たのはその中の一人、ライサンダー・デボア・バーン。通称ジェイと呼ばれた人物だった。広い墓地からこの墓の場所を知るのはそう難儀なことではなかった。墓地の管理人も、ジェイの墓と聞けば嫌な顔をしただろうが、デボア家の墓の場所を尋ねた者にその場所を教えない理由は特になかった。
ジェイは、彼が一族にもたらした恐ろしいまでの悪名にもかかわらず、その遺骸を母方の墓所に埋葬されることが許されたのだ。もっとも、本人がそれを望んだかは定かではないが。ジェイの骨は彼の犠牲者が多く沈んでいるであろう河や沼に行くことを望んだかもしれなかった。こんな風に、白い墓の中で一族の骨と共に朽ちていくのではなく。
それでも、その神殿のような墓はジェイに似合っているように、彼には思えた。彼は、古い廟に多様な花や酒瓶が供えられているのを見た。今やそこは、ある種の聖地となっていた。彼も、持参した百合の花とアブサンの瓶を供えた。白い百合は金髪のジェイによく似合うように思えたし、生前強い酒を好んで飲んでいたということだから。きっとこの緑の酒も気に入ってくれると彼は信じていた。
この墓地の盛況を見るように、ジェイはある一部の者達の崇拝する神となっていた。ジェイは死を耽美的に捉える者達がその胸に護符のように抱く、守護神としてこの街に君臨していた。そして彼もまたそうした崇拝者の一人だった。彼は胸のポケットから写真を撮りだした。長い金髪に薄緑の目をした、ほっそりと整った顔立ちの男性が映っている。犯罪系グッズ専門店で購入した、ジェイのブロマイドだった。
彼がジェイを知ったのは、まだ幼い幼児の頃だった。初めてテレビで見た時は、なんて美しい男の人だろうと思った。その人物がなぜテレビに映されることになったのか、彼が犯した罪の意味を知ることになったのは、もう少し後のことだった。そして、知ってからも敬慕が嫌悪に変わることはなかった。かえって、興味をそそられた。こんなに美しい人が、これほどに恐ろしい、醜い行いをするなんて、と。実際、ジェイの神聖視にはその外見が一役も二役も買っていると彼は睨んでいた。美貌の連続猟奇殺人者ほど、悲惨かつ蠱惑的な悪の姿が他にあるだろうか？
その氷のような美貌には、犯罪本が書き立てるような「現代によみがえった吸血鬼」というよりも、冷然と淡々と人間を罰する天使を思わせるところがあった。事実、彼をこのソドムとゴモラの如き街に使わされた滅びの天使と見る向きすらあった。もちろん、実際には醜い欲情に突き動かされての犯行ではあろうけれど。それほどに、外見の与える印象は拭いがたかった。
彼は少年時代にジェイを取り上げた本をいくつも買い求めた。それは今も彼の部屋の本棚に鎮座している。しかし、それらから提供される情報はかなり重複していて、複数買う意味はあまり無かった。どれも淡々と、一族の悪名、家庭の不和、そしてアルコールや薬物、同性愛への耽溺といった、ジェイの孤独と、彼の破滅の過程を追うだけで、載っている図版もせいぜい、ジェイの家の写真、幼い頃のジェイの写真、犠牲者の生前の写真といったところだった。
無理もない。ジェイは犯行に関するメモも日記も残さずに死んだ、沈黙した存在であるのだから。彼の犯行自体も、物証や周囲の証言から固められていった、一つの偶像であると言えた。ましてや、彼が何を思って殺戮に耽ったなのかなど、解明する手だては皆無といえ、それぞれの本では著者の勝手な推理ばかりが記されているのみだった。あるいは犠牲者ならば知っているかもしれなかったが、ジェイの犠牲者は皆死んでしまっていた。
しかし、そういった謎多き存在だからこそ、様々な憶測を呼び、伝説化を助けているとも言えた。事実、ジェイを巡る噂や逸話には事欠かなかった。それらのどれが真でどれが偽であるか、誰にも分らない話が飛び交っていた。それもこれも、ジェイの謎めいた存在故なのだ。彼は墓場を後にして、街へ繰り出した。ジェイの信奉者には、お決まりの巡礼場所があるのだ。墓場、自宅、そして…日が暮れる前に彼は歩き出した。
最期の犠牲者がジェイに恋をしていたという証言もあることから、共に腐乱し、寄り添うように白骨となって発見された二人のグロテスクなロマンスも囁かれた。真相は闇の中なのは誰もが百も承知だった。それには、犠牲者の中で注目できるのがほぼ彼のみという事情もあった。犯人は沈黙のうちに死に、捜索依頼や目撃証言もなく、死体も遺留品も跡形もなく処分されてしまい、身よりのない犠牲者達は、一体誰が殺されたのかを突き止めることももはやほとんど可能とは思われなかった（最期の犠牲者トラン・ヴィンセントのみが、裸で通りをよろめいているところを保護されかけるところをジェイが連れ去るのを警察をはじめ多くの人間が目撃していた）。
一応、ジェイが犠牲者を撮影した多くの写真が残されてはいたが、解体され肉塊と化していく過程の写真などが、犠牲者の身元確認に役立つはずもなかった。ジェイが一体何人殺したのか、正確な数が判明することは永遠にないだろう。本人が証言できない今となっては。それ以前に生きていたとしても、全ての犯行を記憶しているという保証もないのだ。殺戮者の多くは記憶力が良いようではあるとは言え。
人々が顔を背けて語りたがらない人肉嗜食の逸話も彼を魅了した。ジェイの冷蔵庫の中からは肉のスライスや生首、畜肉のようにフックに吊されている男の肉が見つかっている。彼が人肉を食していたのは疑いのない事項だった。それが餓えによるものでないのは明らかだ。彼は誰よりも裕福なのだから。ある者はそれを軽蔑によるものと見なした。彼の思い通りにならない者への復讐として、その身体を糞に変換するための行為だと。
だが彼は、それは愛によるものだと信じていた。軽蔑するものをどうして食せよう？どうして軽蔑しながらそれを体内に受け入れられよう？ジェイはきっと、愛する美しい少年達を食することで、彼の中に少年達がいることを信じ、永遠の一体化を願っていたに違いないのだ。愛を求めて殺戮と人肉食を繰り返す美青年の孤独な姿は、彼の胸を打つに十分だった。なんと哀しい人だろう、と。もちろん、犠牲者達の方がずっと哀れなのは言うまでもないことではあるが。
彼はジェイの家に前にたどり着いた。一般人の間でもジェイの存在はほとんど伝説となっていた。彼が一人住んでいた館は、有名な幽霊屋敷なみに恐怖スポットと見なされるようになった。近所の者は、夜な夜な少年達の悲鳴や命乞いの叫びを耳にするのだった。生前のそれには全く耳を傾けようとはしなかったにも関わらず。彼もその館を遠くから眺めた。恐いもの見たさでなく、一種の聖地として。白く、歴史を感じさせる美しい豪邸を。あの中で美貌の青年が少年達をいたぶり、引き裂いたのだ。しかし館は静かで、彼に対して一向にその惨劇を語ろうとはしなかった。彼はそこを離れた。最後に行くところがあるのだ。
ジェイの犯行は一種の教訓となった。ジェイは、相手を選びさえすれば殺人をし、人を喰いながら生き長らえることは可能であることを世に知らしめた。身よりのない者は、殺されて食べられても問題にならないのだと。これで浮浪者や家出人の状況が改善されたなら、ジェイの犯行にも意味はあったのかもしれなかった。しかし実際には何も変わらず、今もこの街には行き場のない人々がさすらっている。第二のジェイがいつ現れてもおかしくはなかった。いや、もしかしたらすでに現れているかもしれない。
そしてジェイにまつわる最大の謎は、そのジェイはなぜ死んだのか、ジェイを殺したのは何者かと言うことであった。大方の見方は自殺ということであった。自分を慕う少年を殺して、その後を追ったのだと。しかし、そうでない可能性も大いにあった。だとしたら、ジェイは一体誰に殺されたのか？ジェイを殺した者はどこへ消えたのだろうか？誰も知りはしなかった。
彼は想像した。ジェイの最後の数日、夜の街で一緒にいるところをしばしば目撃されていた男―黒い短髪の小柄な男―彼とジェイが恋に落ちるのを。そして彼がジェイの、惨劇に明け暮れた孤独な日々に幕を引いたのではないかと。ジェイもそれを受け入れ、愛する者の手にかかって安らかに死に赴いたのではないかと。彼の崇拝してやまない美しい人への、それは推理というより願いであった。
彼は〈栄光の手〉へ足を伸ばした。そこはジェイとその男が目撃された酒場であった。
（了）
ジェイに憧れるゴスッ子の話。「大いなる遺産」に続き、ジェイの死後話を書きたくなりまして。美形のシリアルキラーとして、一部の人々に人気があるんじゃないかなーと思いましたがどうでしょうか。一部の人々＝猟奇殺人マニア。南無。
2007年8月11日