かつて、彼ら双子には一人の兄がいた。歳の離れた、優しい兄が。幼い双子の弟たちを風呂にいれ、遊びにつきあってくれた兄が。その兄が、いつからか突然、彼らの前からいなくなってしまった。
彼らには何故兄がいなくなったのか分からなかった。兄について尋ねると、父は、兄は家を出て遠くに行ったのだと言い、母は黙って彼らを抱きしめ、他の人は、兄は変な人に連れて行かれてしまったのだと言っていた。話された内容のどちらが本当だとしても、何故兄は帰ってきてくれないのか、という彼らの疑問には答えてくれなかった。
彼らのことが嫌いになったのだろうか？自分達が悪い子だから、兄はもうお守りが嫌になってしまったのかもしれない。彼らはいっぱい考えて、我身を反省し、神に祈った。もう、歯磨きを嫌がって、お兄ちゃんを困らせたりはしませんから。だからお兄ちゃんをお家に帰して下さい。彼らはありったけの力で願い、念じ続けた。全て無益だった。
それから、彼らにとって兄はアルバムの中だけの存在となった。親戚の集まりの中、学校の行事の中、兄はいつも明るい笑顔を見せていた。しかし写真の中のその姿に、彼らは微妙な違和感を感じていた。この兄はあまりによそいき風に、端整で清潔すぎた。この人物が兄本人なのは間違いない。しかし幼い彼らがよちよちと追い、憧れた姿はこれではなかった。何かが大きく違っていた。決定的な何かが。
少し大きくなった彼らは、去ってからも手つかずだった兄の部屋から、物言わぬ身体の写真を多く載せる本を引っ張り出し、その暗い、猟奇的性向を知り始めた。そして同じように、血と死のまとわりつく愛のイメージに魅惑されていった。兄もまた、これらの無惨な写真のモデル達と同様に、いやそれ以上に凄惨な最期を遂げたと知るまでは。
幼い頃にその渦中に放り込まれながらも、丁重に核心からは遠ざけられていた事件についても、彼らは次第に知識を深め始めた。兄が長期にわたる連続猟奇殺人鬼の最後の犠牲者となったことも含めて。彼らが調べた過去の新聞記事や実録本の中で、身元が判明している他の少年達の在りし日の姿とともに、兄は写真撮影用の明るい笑顔を見せていた。彼らは、兄が殺された小屋や、兄が固定された大きな天板の写真を見た。彼らは、兄が縛られ、生きたまま解体される記述を無言で読み上げた。
それらは衝撃的な事実だったが、かつて与えられた曖昧な物語よりは納得がいった。だから、兄は自分達の元に帰ってくることができなかったのだと。彼らの兄がいなくなったのは、変な人に殺されて、腹の肉を食われてしまったためであり、彼らのことが嫌いになったからではなかったのだ。
その情報は彼らの一部を安心させたが、また一方で悲しくもさせていた。幼い頃、彼らが熱心に願った祈り―例えどこへ行ってしまったとしても、兄が無事でありますように―が全くの無駄に過ぎなかったと知ったためだ。しかし、祈られたところで神にもどうしようもなかったのだ。彼らが窓越しに寒空を見上げ、懸命に祈っていた頃には、既に兄は粗末な小屋の中で、殺人者と共に腐敗していくばかりだったのだから。それは彼らにとって残念な事実であったが、だからといって、祈らなければ良かったとも思いはしなかった。
事件の核心に近づく過程で、彼らはそれまで知らなかった兄の一面―薬物の売人であったこと、男の恋人がいたこと―を知ったが、その知識は兄への愛を減じさせはしなかった。むしろ、家庭とは別に、兄が身を置いていた別世界への興味を彼らの内部に植え付ける結果となった。
やがて成長した彼らは、逃れてきたベトナム人達がニューオーリンズに作った居住地区の、品行方正な小宇宙を抜け出し、フレンチクォーターの通りをそぞろ歩くようになった。かつて兄がしたように、頽廃と享楽の星空を味わうために。兄の悲惨な末路が示す警告も、若い好奇心と、彼らを家に閉じこめておこうとする優しい圧力への反発心を抑えることはできなかった。
今の父に彼らを止める術はなかった。彼らが物心つく時には既に老いていた父は、時間以上に兄の不在がその老化を進めたようであった。父は心底では彼らに街に出歩いて欲しくはないのだろう。しかし厳しく止めて、兄の時のように出奔されることを恐れる父が、彼らに対して強く出られるはずもなかった。父に出来るのは心配することと、時折懸念を示すことぐらいで、それすら逆に、彼らの反発を招くだけだった。
彼らも、街の男達が彼ら―アジア系の、ほっそりと中性的な容姿をした、互いによく似た双子の少年達―に捧げる賛辞や栄光の一部をつまみ食いするように楽しんでいたが、それに我を忘れたわけではなかった。彼らまでもが家を出てしまったら、今度こそ彼らの家族は潰れてしまうだろう。彼らはそれを選ぶほど、両親に失望しているわけではなかった。彼らは実家の快適さに安住した上で、街での刺激も掠め取りたいだけだった。
だから、これは一時の遊びのはずだった。そう願っている家族の見守る中、今日も彼らは髪を固め、装飾的な黒い服をまとい、アイライナーで目の輪郭をくっきりとなぞり外出の準備を調えた。その慌ただしい着替えの間、彼らはふとお互いの姿を見て、ハッと目を見張った。
「トラン兄さん」
そう、これが彼らがよく知る兄の姿だったのだ。記念写真には撮られることのなかった、今まさに夜の街に繰り出さんとする格好。夕方に母が帰ってきたため、自分達のお守りから解放された兄が、うきうきと着飾って外出していく姿だった。幼い彼らはいつも、その楽しげな姿に羨望を覚え、置いて行かれることに哀しみを抱いてその後ろ姿を見上げていたのだ。
兄がいなくなってから、アルバムでも会えなかった兄の姿に、彼らはこうして再会を果たしたのだった。彼らと兄の姿が重なることを、もちろん父は快く思っていないだろうが、彼らは嬉しかった。彼らは互いの姿に重なる記憶に微笑みかけた。
「また会えたね、兄さん」
それは長い長い別離を経ての再会だった。これからも、兄の似姿は彼らと共にあり続けるだろう。彼らがこの街での夜遊びに飽き足りるか、彼らが兄の永遠に凍結された若さを追い越すその日まで。
（了）
ECの後の、トランの弟達についての妄想でした。双子絵詰め合わせでトラン＆双子の幼児を描いたら、むくむくと彼らの話が書きたくなりまして。
トラン以上に、双子が奔放な若者になることをあの父親は許さないだろーとは思いますが、トランの件の後だからこそ、子どもに対して及び腰になるのも有りか？と思いまして。強そうなお父さんを老けさせてしまって御免。
なんにせよ、以前「大いなる遺産」で書いたジェイの遺族も大変でしょうが、犠牲者・トランの遺族もまた大変なのは間違いないかと。SS書くこととか考えずに、真面目に考えるとどうなることかと怖ぇです。双子も無事大きくなれてるといいんですが。
ECの後日談を考えますと…ルークはどうなった？とか、アンドリューはあのまま死んだとしても、身元不明人扱いなのか、歯形とかからアンドリュー・コンプトンだとバレてまた大騒ぎか？とか、ジェイを殺した人物は探されてるのか（トランを殺した後自殺、にしては凶器が近くにないので）？とか問題山積みで悩ましいところです。そもそもアンドリューの死とジェイの死が結びつけられて考えられるかどうかも不明ですが、一応同時期に死亡＆死ぬ前の数週間にジェイと黒髪眼鏡男が一緒にいるところは散々目撃されてると思うので、二人でトラン殺害後、この男がジェイを殺して逃亡中に列車内で死亡、ということにされているのやもしれません。
登場人物達―特に殺人鬼二人はあの世でラブれてイイかもしれませんが、現実世界に残された人々は後始末とかその解釈とか色々大変だなぁもう。全く以てはた迷惑な愛であります。フィクションだから、そんな無茶苦茶さも楽しくはありますが。
2006年9月26日