わたしは殺風景な洗面所で、名状しがたい物でいっぱいになった、消毒液の臭いがするバケツを前にしゃがみ込んでいた。
昨晩、ジェイとの運命の邂逅を経て乱痴気騒ぎの夜を過ごし、昼まで寝ていたわたしは起きあがると顎を撫でた。ざらりとした感触に立ち上がり、広い家の中のジェイを探した。台所で見つけた彼に洗面所の場所と剃刀とシェービングジェルの在処を教えられたわたしは、洗面所のシンクの引き出しの最上段から難なく見つけ出し、数年ぶりに自分でできる髭剃りの快適さを味わっていた。
さっぱりとしたわたしは何の気はなしに、引き出しの他の段も開けてみた。真ん中は何もなし、下段には人間の毛髪が詰まったビニール袋が入っていた。これも彼の愛する者達の遺品だろうか？昨晩、奴隷小屋でそれ以上に直截な愛の証を見せられた今、さして驚きではなかったが、様々な色合いの人間の髪の房束はいかにも異様で、何も知らない滞在者の目にも触れる、このような所に置いておくのはいささか無防備であるように思えた。
シンクの下には、木製のキャビネットが入っていた。それも開けて見てみると、その中には水がなみなみと張られたバケツが鎮座していた。わたしはそこからバケツを取り出して目の前に置き、冒頭の仕儀と相なったわけだった。
かすかに消毒薬臭い水の中には、数本の大人の玩具が漬けられていた。もちろんわたしも全く知らないというわけではなかったが、ここに集められた物の色や形、材質は呆れるほどに多様で、男根にまつわる空想力―あるいは願望か？―の限界を見る思いだった。きっとこれも、彼の愛の流儀の一環を担う物なのだろう。確か彼は、殺害する前に犠牲者を拷問にかけると言っていなかっただろうか？
そう、理性の範囲内では判断しながら、それ以外の部分でわたしは、ジェイが自分自身にこれらの奇妙な玩具を挿入し、孤独な悦びを極める様を思い描いていた。氷のような美貌が、排泄孔のもたらす快楽にとろけて歪む様を。広がった肛門の奥から湧き出る歓喜に、熱い吐息を漏らす、ほっそりとしたしなやかな肢体。その映像は、五年間の禁欲生活の後には、わたしにとっても刺激が強すぎるようだった。
昨晩、全裸で戯れていた間にも芽生えなかった欲情が股間で具現化するのを感じ、わたしは困惑した。思えば、わたしの全身に飛び散った屍体の肉汁を彼に舐め取られた時も、不思議なことにこのような感覚には陥らなかったのだ。酒場で遭って以来、彼に魅力を感じ続けていたにも関わらず。それは、性的な欲求以上に優先される、共通する密かな嗜好を満たすことを渇望していたからだろうと思っていた。
そしてそれ以上に、わたし達の同志めいた貴重な関係を、ありふれた性的なものにしてしまうことを、わたしは心のどこかで惜しく感じていた。恐らくは彼にとってもそうだろう。肌や粘膜で交わされるやりとりは、ひどく親密で個別具体的でありながら、その内容はまた馬鹿馬鹿しいほどに非個性的でもあった。わたし達は身体の前に、重ねなければならない言葉がたくさんあった。
それに、己に巣くう病原菌のことを考えれば、わたしは慎重に行動しなければならなかった。まぁ、これらの変な形をした玩弄物をわたしの手で、探し当てられた彼の前立腺に押し当て、スイッチを強めに入れるくらいは問題ないだろうが…またしても熱を増す局部にわたしは舌打ちした。これでは、初めてモザイク無しの男性器が写ったヌード写真を与えられた思春期のガキと選ぶところがない。
玩具を前にぼんやりと物思いに耽っていたわたしは、洗面所の外から聞こえてきた、食事の準備ができたというジェイの声で妄想に冷水を浴びせられたようにハッとし、バケツを元通りにしまうと便所に駆け込んだ。腹に物を詰め込む前に、出さなければならない物があった。
遅い朝食―内容はトウモロコシの粉でできた粥だった―の間も、わたしたちはお互いの秘密を打ち明けることに夢中で、そのやりとりに性的な感情の混じる余地は微塵も無かった。しかし、トイレから出てきた直後、彼の顔をまっすぐに見るのが決まり悪く感じられたのも事実だ。妄想の対象とするだけでこれでは、性行為の相手とした次の朝はどうなることか見当もつかなかった。そしてわたしは前の人生で、性交渉を持った犠牲者を、次の朝まで生かしておくことがほとんどなかったことを思いだした。
そうすると、彼はわたしにとっては久方ぶりの、欲望を覚え、かつ生きていて欲しい相手というわけだった。試しにわたしは、粥を啜りながら交わされる殺人嗜好についての打明け話の合間に、彼に性交渉の有無と犠牲者の生存率の関係を尋ねてみた。果たせるかな、両者は共存できない関係であるという答えが返ってきた。彼もまた、欲望を満たした相手を生かして帰すことは無いということだった。わたしの頭に先程の大人の玩具が浮かんだが口には出さなかった。
これはいよいよ、わたし達が性交渉を持つ可能性が翳りを見せる兆候だと言えた。こんな二人が性的な接触をした日には一体どうなるのか―どちらかが、あるいは両方が死ななければならないのか？二人とも生き延び、睦言を交わせる可能性は無いのだろうか？―わたし達自身にも分からない、未知の領域に属する事項だった。彼はそのことについてどう思っているか、興味がないわけではないが訊くことはできなかった。今はまだ。彼が自身に向けられる欲望をどう感じているかはっきりしない以上、それを気取られるのは賢明ではなかった。
しかし、わたしはそれほど心配しているわけではなかった。わたし達二人の関係は、わたし達と犠牲者達のそれとは大きく異なっているのだから。わたし達なら、彼を敬愛したまま欲望を叶える術も見つかることだろう。より彼の存在に慣れ親しんでいけば、そのうちに。これまでわたし達が享楽の相手を必ずや殺害してきた、これまで自身にも説明のつかなかった真の理由が、「次の朝に相手の顔を見る恥ずかしさに堪えられないから」でないと、一体誰に分かるというのだ？
彼とであれば、そんなものは越えるべき段階に過ぎないはずだった。そう思い定めて、わたしは食卓の向こうの彼に笑顔を向けた。微笑み返した彼の表情は晴れやかで、とても先程までわたしの脳内で自ら尻穴を割り開き、顔を真っ赤に染めて喘いでいた人物とは思えなかった。
（了）
ジェイ所有の大人の玩具の行方についての妄想でした。トランが発見して、ジェイが自分（トラン）に対して使うのを妄想していましたが、当方、この辺の文章を初読時からずっと「ジェイが自分自身（ジェイ）に使う様をトランが妄想」と読み間違えていたことを白状します。実に半年間にわたる大勘違い。それ以前に、この辺の箇所は耽美キャラが大人の玩具多数所持＆男ヒロイン（？）がそれ使って自慰という記述の衝撃に何かアチコチ吹っ飛んで、ちゃんと文章読めてませんでした。
先日この間違いに気づいた時には、己の読解力の無さにパニッシュ入れると共に、どれだけジェイの穴自慰が見たかったんだ自分、と果てしなくへこんだものですが、同時に「いっそこれをネタにSS書いてしまえ！」と、転げてもタダでは起きないさもしさを発揮してこの話ができあがった次第です。でも二股の玩具は、男相手にどうやって使うんだか未だによく分かってません。
アンドリューに妄想してもらって無事（？）、ジェイの穴自慰描写を盛り込めましたが、実はこの話のテーマはもう一つあります。冒頭に出てきた、ヒゲ剃りについてです。トランの観察によるとジェイの洗面所＆トイレは全く生活感が無く、それはもう作者の「ジェイたんは美形だからウ○コなんかしないよ！」アピールをひしひしと感じるところなのですが、そんな作者にとってもジェイのヒゲは有りなんだなーと、安全剃刀＆シェービングジェルの存在で思ったものです。ん、ヒゲがあるから髭剃り使ってるんだよな？アンドリューは牢屋にいる間、ヒゲってどれくらいの間隔で剃ってもらえたんですかね。気になりつつもそんな事項をどうやって調べればいいものやら。
後半は、彼らの性的なゴニョゴニョと殺害率について。よく考えたら彼ら、生きている相手とイチャコラ経ての夜明けのコーヒー（別に紅茶でもいいけれど）を飲んだことがないんですな？ヤッた相手は皆、ヌッ殺しちゃうから。お盛んなくせに、それも何だか寂しい話ではあります。自業自得ですが。
こんなとこに引っかかった理由は、ジェイの性衝動と殺意の関連を説明する「ひとたびジェイが絶頂に達してしまったら、生きて帰れたものは一人もいない」（P188）という文章に、初読時に「な、なんて、はた迷惑なチ○コの持ち主なんだ」と呆れたことがきっかけです。ジェイが性転換すれば、作中のニューオーリンズは平和だったのになあ。勝手なことを言うんじゃありません。
2006年9月19日