ある雨の夜、黒く長い人影が墓地を散策していた。クリスチャンはこの街の、建物のような神殿のような墓の間を歩くのが好きだった。そこは昔から変わることのない、彼のお気に入りの場所だった。ここは治安の悪さで知られ、人間ならば命がいくつあっても足りない行為ではある。しかし、彼にとっては何でもなかった。
むしろその危険さ故に、獲物を見つけるのに好都合の場所であるとも言えた。無知な観光客や、それを狙う手合い―どちらも彼にとってはいい獲物だった。特に後者は、心の痛みも少なく食すことができる、またとない相手だった。美しさはこの際置いておいて。
ぬかるむ道に黒いブーツを汚しながら、当てもなくぶらついていたクリスチャンは、湿った土と苔の臭いに潜む血臭に足を止めた。餓えた彼の鼻でなくても感づきそうな、強烈な臭いだった。彼は血の臭いに導かれて、天辺に天使像が飾られている墓の前に辿り着いた。
そこには、細身の若い男が力なく横たわっていた。荒い息を吐き、白いシャツの腹から地面までを広く、真っ赤に染めて。強盗に襲われた哀れな犠牲者と言ったところだろうか。クリスチャンが見たところでは、生き延びるには血が出すぎてしまっていた。
本人もそれを分かっているようで、かろうじてクリスチャンを見上げると、諦めたように小さく首を振った。どうせもう助からない、放っておいてくれ、と言うかのように。しかし、このまま放置して死ぬにはまだまだ時間がかかることだろう。それまでに彼はどれだけ苦しまなければならないのだろう？
急速に血を失って青白い肌をした青年は美しかった。彼をこのまま苦しませたままでいることは良くないことであるようにクリスチャンには思えた。これ以上貴重な血を無駄に流してしまうことも。彼を楽にしてやる、苦痛から解放する術をクリスチャンは知っていた。青年はそれにふさわしかった。恭しく傷口に口を付けたクリスチャンを受け入れるように、青年は瞼を閉じた。そしてそのまま開かなかった。
全てが終わるとクリスチャンは立ち上がり、口もとを拭うと墓標の天使像を見上げた。雨に濡れたその顔は、苦しみから解き放たれた哀れな青年のために涙を流しているように見えた。
（了）
後書き
唐突に、墓地を歩くクリッシーの図が脳に浮かんだので、具現化してみました。テーマは「苦痛からの解放としての殺人」で。
2008年9月27日