着いたばかりの故郷の空気を存分に吸い込み、その探検を愉しんだナッシングは、歴史ある喫茶店でしばしの休憩を取っていた。傾きかけた日差しをサングラスで防ぎ、幸福感に包まれながら、彼は苦いカフェオレを味わっていた。
「ここ、空いてる？」
初めて口にするカフェオレの、酸味のない爽やかな後味の余韻に浸っているところに声をかけられて、ナッシングは顔を上げた。
そこには、少しばかり彼より年上と思われる少年が立っていた。橙色の太陽光線を、淡い金髪は反射し、黒い上着は吸収している。
見回すと、夕暮れ時の喫茶店は、一息つこうとする人々で賑わい、席は混雑していた。
「うん、いいよ」
彼が肯いて席を勧めると、少年は礼を言って、滑るように腰をかけた。少年はカフェオレを注文すると、静かに啜り始めた。しばらく二人とも無言だった。
「観光で来たの？」
彼の首にかかっているビーズと、それに絡まるロザリオに目をやり、少年が尋ねてきた。
「ううん。昨日、家族と引っ越してきたところなんだ」
ナッシングは首を振った。その事実が誇らしい余りに、彼は住んでいる場所も明かしたいぐらいだった。しかし、少年がそこを知らないかもしれなかったし、これからしばらく住み着き、狩りをする街で人間に住処を教えるのは、あまり賢明ではなさそうだと思い留まった。
ナッシングの返事に、少年は意外そうに数回瞬きした。その答えは少年を少し驚かせたようだった。確かに、ナッシングの、髪も服もさほど清潔とは言えない姿を見れば、良くて自堕落な観光客、下手をすれば浮浪者や家出人と思われても仕方がなかった。
少年は、続けて何か言おうとしたのを喉の奥に引っ込めたようだった。何を言いたかったのかナッシングには見当もつかなかった。とぎれた会話が二人の上空で、亡霊のように彷徨っていた。
ナッシングは、密やかに少年を検分していた。長く伸びた、金色の柔らかそうな髪。不思議な色の、冷たい瞳。青白い肌の、ほっそりした身体。彼は美しかった。そして美味しそうだった。きっとジラー達も気に入るはずだ。ナッシングは無意識のうちに、吸血鬼の視点で少年を眺めていた。
ナッシングは、仲間達がこの少年を貪り食う様を思い描いた。モロカイとトウィッグに手足を押さえつけられ、ジラーの剃刀で喉を切り裂かれ、呼吸音とも悲鳴ともつかない絶望的な声を喉奥から発する少年は、きっとより魅力的だろう。
そして彼の口の中に溢れる、少年の命の味は例えようもなく素晴らしいに違いない。甘美な血の味の記憶にナッシングは、カフェオレのカップに口元を隠して唇を舐めた。
しかし、より観察を進めるとそれは非現実的な妄想だと気づいた。少年の髪や服はきわめて清潔そうで、浮浪者や家出人でないことを表していたし、その衣服は色こそ黒一色とシンプルであったが、生地や作りはいかにも高級そうで、少年が豊かな家庭の子弟であることを見抜くのは容易かった。
そして、この街に長く住むつもりなら、地元民に手を出すのは禁物だと、彼はクリスチャンに教えられたばかりだった。慎重さを旨として、まさにこの街で永らえてきた先達に。その教えに従えば、この少年を今夜の獲物にするのは、諦めざるをえないようだ。
彼は立ち上がった。
「もう帰らないと。遅くなると家族が心配するから」
少年が肯いて席を立つことをみとめるのを横目に、ナッシングは店を出て、家路についた。少し歩いてから振り返ったが、店にはまだ人が多すぎて、少年がどこにいたのか、全く分からなくなってしまった。
しかしナッシングは気にしなかった。お互いこの街に住んでいるのだから、いつかまた逢うこともあるだろう。彼は少年と再会するのを楽しみにしていた。獲物としてではなく、友達となり得る存在として。
その直後に遭遇した老人とのやりとりや、決定的な一夜を過ごしてこの街を離れる時には、ナッシングは少年のことなどすっかり忘れてしまっていたのだけれど。
（了）
LSとECクロスオーバー話第二弾、ナッシング＆ジェイ話です。LS391Pのカフェ・ドゥ・モンドで休憩するナッシングについての文章から、「ここで、ジェイもカフェオレ飲んでたらよくね？よくね？」と発生しました。誰に訊いているのかは不明。1グラムの金を叩いて伸ばして畳半畳分に拡大する妄想力万歳。…東京ドーム一個分ぐらいに出来るよう進化したく候。
傍目には美少年同士のほのぼのやりとりの様でいて、その内実は…
ナッシング＝「あーあ、地元ッコだし金持ちそうだし、食べちゃダメなんだー。残念」、
ジェイ＝「新参者でも家族つきじゃ、連れ込んで解体はムリっぽいな…」と、お互いに危機一髪な関係にてデンジャラス。
お互いに、相手の外見は好み（獲物として）ドンピシャそうですし。
ところで、あのまま事件が起きずに、吸血鬼達がずっとニューオーリンズに住んでいたら、彼らの関係は周囲の人々にどう写っていたかを考えますと。元・酒場の店主（クリッシー）と、その息子（ナッシング）と、その恋人（ジラー）と、その友人達（モロカイ＆トウィッグ）となったんではないかと！勝手に思ってます。この場合「その」は各々、直前の人物にかかります。
多少はクリッシーの性癖を知る人々に、「ゲイ一直線かと思ったら子どもいたんかい！？」と内心驚かれたりしたら、当方の血は沸騰して五倍に濃縮されるまで煮詰まります。ジェシーが健在の時のことを知っている人がいて、ナッシングを見てピンと来たりしたら、当方の肉は激しいリズムでブレイクダンスを踊ります。素晴らしいですね、一目瞭然な母子関係って。
そんな妄想するまでもなく、ウォレスはナッシングのことを、ジェシーとクリスチャンの子どもだと思っていたんじゃないかと見るがどうでしょうか。うん、グランドパピーそれ正解です。←嘘をつくんじゃありません。つーかウォレスが言っていた「邪悪なやつら」とは一体誰のことなのか、未だによく分かってません。ウォレスがジラー達を知ってるとは思えませんし、クリッシー一人なら単体かと思われ。クリッシーも知らない、他の吸血鬼を知っているのか。はっ、もしやウォレス、双子の吸精鬼が見えるのか？解決しないまま終了。
2006年10月5日