その少年の短い人生は、およそ幸福とはほど遠い物だった。極度の貧困と絶え間ない暴力は、幼い心を空にするに十分と言えた。それでもわずかな希望とともに、与えられた環境から抜け出そうと家を出たところで、貧しい生活には変わりがなかった。いや、当てのない生活で空きっ腹は余計に酷くなるばかりだった。
だから、大きな教会の陰で空腹で動けずにいるところを、通りかかった金持ちそうな青年に声をかけられたのはまたとない僥倖だった。彼には、餓えも虐待も損なえない、外見的魅力が備わっていたのだ。彼自身は知らないことであったが。
彼は青年の豪邸に招待され、初めて見る眩いまでの装飾品に目を奪われた。そして、振る舞われた豪勢な料理。スパイスのきいた、手の込んだ煮込み料理の味に、彼は夢中になって貪った。清潔そのものの浴室で、大きく真っ白なバスタブに身を横たえ、温かい湯に浸る喜び。何もかもが夢のよう、いや彼が夢見ることすらできなかった生活がそこにはあった。巨大なベッドの上で美しい青年の愛撫を受けながら、彼はこんな生活を知ってしまった上で、また元の浮浪生活に戻ることができるのだろうかと、明日が来ることに恐怖すら覚えた。
だが、それは杞憂に終わった。なぜなら、少年は生きてジェイの家を出ることはなかったからだ。すなわち、彼の体は解体され、食肉としてジェイの食卓に上ることになったのだ。少年が恐れた明日は来なかったのだ。それも彼にとっては幸運なことだった。
少年が目覚めた時、彼はジェイの肉となっていた。彼は、ジェイにとっては日常である豪奢な生活に逐一感動を覚えていた。昼過ぎまで寝ていても蹴飛ばされないとは、なんと素晴らしいことだろう！誰ももう彼を傷つけたりはしないというだけで、彼は幸福感を味わっていた。彼はゆったりとシャワーを浴び、自分の肉の残りを調理し、平らげた。ジェイの肉となった今、その行いに、何の疑問も持たなかった。
中でも素晴らしかったのはその書斎だった。彼が生前望んでも手に入らなかった、いや目にすることすらできなかった美術書、文学作品が彼を待っていた。彼はジェイと一緒にそれらを読み耽った。めくるめく色や言葉の魔術に溺れるように魅了された。そして、飽くことなく次々とＣＤをかけ、音楽のもたらす愉悦に身を委ねた。どんな音楽だろうと彼を興奮させた。
五感で喜びを味わいつつ、彼はこう言った物事に無縁だった生前の自分と、今他人の肉となって芸術を楽しんでいる自分を比べて思った。どう考えても彼には、今の自分のほうが幸せだと思えてならなかった。痩せこけた虚ろな子供であるよりも、美しい青年の一部であることのほうが素晴らしいことだと。
そう、少年はジェイの肉になって幸せだった。
彼は幸せだった。生きている時よりもずっと。
彼はジェイの細胞の中でひっそりと微笑んだ。
（了）
後書き
「死んだ男の目玉」に続きまして、犠牲者側からの話でした。しかも食人の犠牲者側というのは初めての試みで、肉の視点の置き方に少々悩みました。ジェイと＝でもないし、背後霊三人称も何か違う…結局あまり深く考えずに書きました。
犠牲者の中にも少しは、死んで幸せになった人もいるんじゃないかなーというのはジェイファンのひいき目ですかそうですか。ならば、勝手にいるものと思って生きます。
…冷静に考えれば、ジェイの体って『ゾンビ屋れい子』のイーヒン状態で、各々の肉が復活したら復讐されること請け合いだよなあと思いつつ。
2008年9月12日