彼はこのところ、一人密かに楽しみにしていることがあった。父祖の時代から―既に百年近く―禁じられていたが、この程、合法的に復活を果たした緑の酒の栓を開け、封じられていた薬草の、混合された香りと灼けつくような喉ごしを味わうことだった。その酒は、数多くの詩人や芸術家、ディレッタント達を溺死させた伝説の魔酒の、直系の子孫と言えた。
その味は酒豪で知られたジェイはもちろん、その代用品に溺れ込んだその母も、ついぞ知らない物だった。しかしきっと、口にすれば彼らも気に入ったに違いない。彼はそう信じていた。おそらく、彼らの先祖は、この酒の原型―より毒性の強い魔酒に酔いしれたのに違いないのだから。とすれば、ジェイにもその母にも、そして彼の血管の中にもその酒の毒は流れているのかもしれない。
だからこの、数多の薬草から醸造された成分は、成人して間もない、酒を嗜み始めたばかりの彼の臓腑にも、あたかも母乳であるかのように易々と吸収されていったのだろう。この毒への親和性は、先祖代々受け継がれた、彼ら一族の体質なのだ。彼には、そうとしか考えられなかった。
そしてこれは、一人きりの楽しみ以外にも重宝した。古の海賊達が痛飲したと言われる、伝説の緑の酒を飲めるというのは、この街の者にとっては特別な意味があるのだから。例え、原型よりも毒性が大幅に弱められた物であっても、例え以前より、幻の酒の紛い物であることを喧伝している代替品に親しんでいたとしても。
何より、酒場で好奇心の強い少年達を誘うには格好の材料だった。家で本物のアブサンを飲まないか、と誘えばかなりの確率で若者達は食いついた。何しろそれは、寒い懐を抱える多くの若者にとってその酒は、名のみ知れ渡った高嶺の花であったのだから。彼らは一様に、その緑の花に憧れを抱いていた。それはぎりぎりのところで手にしたとしても、うっすらと毒に染まった花ではあったが。
彼は今夜もその手で少年達を誘い込んだ。今宵彼の相手となるのは、美しい東洋人の双子達だった。黒い艶やかな髪と、両性的な美しさの相似性が彼の気に入った。それ以上に、彼らの容貌は彼にどこか懐かしさを抱かせた。会ったことはないが、どこか何かで目にしたような…しかし彼にはその記憶の源泉を掘り当てることは出来なかった。
彼は、少年達を自宅に招待した。盛り場から家へ向かう夜空には、重く紫色の月がのしかかって彼らを迎えていた。その光景は彼を少し不穏な気分にさせたが、すでに酒か薬かに軽く酩酊していた双子達は、そのサイケデリックな眺めを喜んでいた。
居間に入り、ソファに座った双子達の前に置かれた黄金色に光るゴブレットに酒を注ぎ、彼らは苦い緑の酒で乾杯をした。彼はその薬草の香りを吸い込みつつ、喜んで酒を呷っている双子達を検分した。ミルクコーヒーの肌とアーモンドの瞳をした彼らは、実に美味しそうな若者達だった。ジェイならば、その肉体の美しさと、見事なまでの、屍達の相似性を喜ぶことだろう。
もちろん彼は、一夜の友人と酒を酌み交わし、ともすれば快楽を共にし、次の日には安全に送り出すのだった。それが彼に出来る精一杯の放埒だった。程なく、彼は苦い酒に酔った少年達を介抱し、穏やかな寝息を毛布に埋めさせることになるのだ。寸毫も傷つけることなく。
当然、そのか細い手を手錠に繋いで、薄い胸から腹を一気に切り裂き、開いてしまったりは、ライチの皮を剥いて、しゃぶりつくには格好の身を剥き出しにするように、褐色の肌と好対照を成す、真珠色の肋骨を鑑賞したりはするはずがないのだ。
しかし、酷く酔った勢いで双子達に挑みかかり、酔いどれた舌で、同じ酒に酔った、震える喉を塞いで窒息させてしまったとしても、また、その長い髪を掴んで、自重を持ち上げることも出来ない首を、壁に打ち付けたまま擦りつけ、吐き出された緑の泡と赤色とで、白い壁に残酷な意匠を描いてしまったとしても、それは、鈍く光る黄金色の杯に注がれた、あまりに緑色な毒の酒と、彼らを照らす赤紫の月のせいにしてしまえそうな、そんな夜だった。
（了）
2002年のアブサン復活を、ECキャラに祝わせたかったのです。『彼の口はニガヨモギの味がする』のキャラの方がより適切かとも思いましたが、あの作品で生き残ってるキャラを考えると暗澹。
EC中ほとんどのキャラが93年に死亡しているので、残されたキャラ…以前SSで登場させた、ジェイの従兄弟の息子と、トランの弟達で祝わせてみましたが、ほぼオリキャラオンリー話と化しました。一応、作中で存在を示されているキャラとはいえ。
ジェイの従兄弟の息子については、以前書いた「大いなる遺産」で品行方正な様に書いておいてこの体たらくですが、この位の放埒は大目に見て…もらえないか。
文中で毒とか言ってますが、現在のアブサンの毒性は人体に影響がある程ではないそうなので、そこんとこよろしく。それ以前に昔のアブサンも、大量に飲めばアブサンの毒にやられる以前に、アルコールでKOされたんじゃないかとのこと。む、アブサン中毒はただのアル中でありましたか。
2006年12月16日