その日の午後、ハイティーンの若きライサンダー・バーン・ジュニアは頭痛と吐き気と焦燥感と共に目覚めた。責め立てるような頭痛と、うんざりする程の吐き気をもたらしたのは昨夜に飲んだ大量の酒であり、腹の底で煙を燻らせる焦燥感をもたらしたのは、目の前の引き裂かれた死体であった。
この止めどない気分の悪さが、野放図なアルコールの大量摂取の結果というのは判っている。しかしこの死体はどこからやってきたのだろう？これもまたアルコールのもたらす幻覚だろうか？そもそも何者なのだろうかと顔を覗き込んでみたが、ぐしゃぐしゃに砕けた顔面に、判別は諦めざるを得なかった。
震える手を伸ばして血の海に沈めてみた彼は、爪奥に入り込む血臭に、ようやくこれを現実と認識できた。その臭いに比べれば、白く硬くなって転がる肉体の部分部分は作り物じみて、とても現実のものとは思えなかった。
彼は思い出した。その死体の原材料となったのは、昨夜ジェイ自身が家に招じ入れた客人だった。彼は昨夜、ジャクソン広場で知り合ったミュージシャン志望の少年を一人、自宅―この時点ではセント・チャールズ通りにある建物―に招待したのだ。
しかし一晩を経て、その客は全く別の物になってしまっていた。確か、彼の家の門をくぐった時はこんな姿ではなかったはずなのだが。そうでなければ、そもそも彼の家に入ることが―それ以前に生存が不可能なのだから。
その散乱する破片をかき集めて何とか人間の形に修復し、生前のこの人物を見知った者の確認を取って回ろうとしても、対面した者達はこの物体を、彼らの知る人物であると決して認めはしないだろう。
彼らは声を詰まらせ、原型に少しも近づいてない下手なパズルの回答例から目を背け、こう言うのだろう。「これが、あの子であるはずがありません。あの子は、私達のあの子はとても元気で明るくてチャーミングで、とても、こんな―」吐き気を催すような、無惨な血塗れの肉塊ではありえないというわけだった。
それはジェイにとっても同じだった。そんな魅力ある少年だったからこそ惹かれ、
友達になりたいと思い、彼のプライベートな空間に誘い入れたのだ。誰がバラバラ死体と友達になりたいと思うだろうか―少なくとも当時の彼は思わなかった。
しかし、自分の友情が客人の姿を、残酷にもそう変えてしまったのだ。それは間違いなかった。彼らは、生きたまま友人同士となることもできただろう。もしかしたら、きっと、多分。少なくとも、一緒に酒を飲んで、音楽を聴き、愉しく語り合っていた昨晩までは。
友好的な酩酊が緩やかに運ぶ話題が、客人の少年の将来の夢の話に及ぶまでは。そしてその夢のために、彼は遠からずこの街を出ていくという宣言が、彼らの輝かしい黄金の時間を静かに、しかし容赦なく破るまでは。
その宣言をした当人は、自分が何を破壊したのか気づいてはいなかった。彼らの周囲を漂っていた煌めく金色の粒子が、瞬時に鉛色に変色し、乾いた音を立てて地に落ちるのに気づくには、彼はあまりに陽気に酔っぱらってしまっていた。
痛む頭で思い返しても、ジェイにはその瞬間の記憶は鮮明に残っていた。客の無情な宣告に、それまで酒で心地よく温められていた消化器官が、急に強ばり硬くなる感覚を彼は覚えていた。自分の眼差しが、川底の泥のように濁っていっているのだろうという自覚もはっきりとあった。
自分が、歓待してくれる主人の臓腑を石と変えたことにも気づかずに、客人はなおも新天地での未来を一人、熱く語っていた。（彼が一人でしゃべっていたのは、話し相手に語るべき未来の物語が存在しないせいもあった）その確信に満ちた語りは、それが酔いどれた若者の夢物語に終わらない可能性を強く感じさせるものだった。
この少年は自身が語るものと近い未来を、遠からず手にすることだろう。少なくともジェイはそう思った。しかし少年がその未来を手にしようとすれば、彼はこの街からいなくなってしまう。そうなれば、この街に住み続ける自分とは友人ではいられなくなる。
（何故かジェイの中には、自分がこの街を出るという選択肢は存在しなかった）
この愛しい少年を、恐るべき未来に近づけないようにするためには、どうすればいいのだろうか？未来が少年に接近するのを止める―時を止める―ことは、何人にも不可能な所業である。ならば、少年が未来に近づけないように足止めしてしまえばいい。なんならその優美な足をへし折ってでも。
そして、ジェイはその通りにした。実際にはその足は切り落としてしまったのだが。
この街に、いやここにいて欲しいがために、そしていつまでも自分と友達でいて欲しいがために、希望に満ちた少年から夢も未来も足も、そしてその命までも奪ったのだった。
しかし、この客人と永い友情を結ぶのは困難な事業ではあった。終りのない希望に満ちた語りに、石の心臓を抱えたまま相づちを打ち、笑顔でさらに酒を勧める。深く酔った少年の両手首を手錠で繋ぎ、ベッドの枠に固定する。ここまでは大して難しくはなかった。
その後、この少年から彼を拒絶する全ての箇所を取り除く―これが難事業だった。突然の主人の異様な行動に驚き、鋭く非難の視線を向ける目。彼を罵り、喚き、許しを請い、次第に意味ある言葉を紡がなくなっていく舌。そうすれば逃れられるかのように、際限なく手錠をベッドの枠に打ちつけ続ける腕。封じられた腕に代って襲撃者を遠ざけるべく、空を蹴り続ける―一応、空以外も数回蹴っていたが―脚。自分の友となるべき者に、これらは必要なかった。いや、あってはならなかった。
これらの部品を全て本体から取り外されて、ようやく少年は彼の忠実な友となることができた。作業が終わると、悪戦苦闘の末に和解できた恋人に向けるように、ジェイは汗ばんだ朗らかな笑顔を向けた。慣れない疲れる作業ではあったが、これで素敵な友達ができるのなら安い物だ。結果は上々と言えた。闇雲な蹴りの強烈な一撃をしたたか受けた腹を撫でて、彼はすっかり従順となった友人に歓迎の挨拶をした。
しかし、今夜はどこで眠ろうか？それが彼の新たな悩みとなった。いまや彼のベッドは、客人の身体の破片で散らかり放題で、シーツは漏らした体液でぐっしょりと汚染されていた。自分が隣で眠ることを友は許してくれるだろうか？もちろん拒絶出来るわけがなく、それは意志でなく空間の問題だった。彼はベッドの上の友の残骸を点検した。友が物体と化していく過程を反芻しながら。
スプーンでくり抜かれた目玉の一つは、シーツの上でビー玉のように、クリスマスツリーの飾りのように輝いていた。（ジェイの、眼球を傷つけることなく眼窩から掬い出す技術は、とても初めてとは思えない腕前だった。もしそんな技能を競う大会でもあったなら、彼は若輩ながらかなり優秀な成績を修めるに違いない。）もう一つはどこへ行ってしまったか判らなくなっていたが、ジェイは気にしなかった。
手足と胴体が永遠の別れを告げるもの悲しい場面には、鋸ではなく斧が活躍した。そのため強引に作られた断面図は、「斬られた」と言うより「割られた」と言った方がいい砕け方をしていた。（その砕けた肩や太股の骨は、ジェイにスープに使う鶏ガラを思わせたが、彼が実際に人骨からスープストックを作成するのはまだ先のことである。）
力なく転がる腕を見て、もうそれと手を繋いだり、その甲に触れることができないのは哀しかったが、切り離され放られた脚を見て、それがもう友をこの街の外へ運ぶことがないことに、ジェイは心の底から安堵した。本当に心の底から。本当に。
回り続け、足掻き続ける舌を切り取るのが最も難しい仕事だった。最初は鋏で出来るだろうと高をくくっていたのだが、まず無理だった。もがく細長い肉を片手でしっかり掴み、もう片方の手に持った鋏で一気に切り取るなんてことは、迫害された聖人伝のような作り話の中ぐらいでしか上手くいくとは思えなかった。実際やってみると、滑ってしまって話にならず、舌の付け根に浅い傷をいくつかつけただけだった。
その新たな傷により、更に大きくなる悲鳴と呻き声に耐えかねて、ついその口元に斧を振り下ろしてしまったのが、ジェイにとっては怪我の功名となった。もはや面影を追うのも困難なまでにぱっくり割れてしまった顔面に申し訳なく思いながら、さんざん追い回した舌が今は血の海の中で力なく震え、根本から千切れかかっているのを喜んだ。それをそっと指でつまんで引っ張り上げると、ようやくその柔らかい肉は客から離れ、彼の物となった。
しかし彼は別に舌が欲しかったわけではなく、友の自分に対する非難を止めたかっただけだったのだ。自分が友達の身体の一部に興奮するような変態だとは思わなかった。その時はまだ。そのため彼は、もう用のないその舌をティッシュに包み、部屋のゴミ箱に静かに投げ入れた。
彼が意図的に行った、客人に対する破壊行為はここまでだった。その腹も切り開かれてその豪勢な中身を惜しげなく展示していたが、これはジェイが比喩を越えて、腹を割った、腹蔵のない交際を望んで無意識的に行った結果であって、別段その中身に興味があってのことではなかった。
例えば、その死の瞬間まで大量のアルコールを分解しようと懸命に働いていた肝臓や、飲酒の結果として尿でぱんぱんに膨れあがった膀胱、そして昨日と今日の分程度の糞便を蓄えている大腸に用があるわけではなかった。実物を見ると結構綺麗だな、とぼんやりと思ったくらいで。
かくして彼らの友情は強固に、一方的に結ばれた。この友達の誕生にジェイは満足した。その絆が結ばれる頃には、少年の魂はこの街どころか、この世から立ち去ろうとしているところだったが、ジェイにとってはこの魅力的な肉体が彼に逆らわず、彼の意に反して出て行くことなく、この街に、この家に、彼の傍らに存在していることこそが何よりも重要であったのだ。
この新しい友人は彼を拒まず、また彼より大事な夢を追って出ていったりはしない。絶対に。もう彼は独りになることはないのだ。なぜなら友達がずっといてくれるのだから。その考えに慰められて、泥酔していない夜には珍しく、彼は孤独を感じることなく安らかな眠りについた。
惨殺された友人の身体から溢れ出た血の海の中で、真裸の白い身体を丸めて眠る姿は、まるで胎内で微睡んでいるところを、その母胎を切り開かれ取り出され、さらけ出された未熟な胎児の様だった。彼はこの凄惨な、こじ開けられた瀕死の子宮の中で深く休らっていた。
しかし今現在、斜めに影を投げる日の中、目覚めた彼が強く感じているのは、血で固められた髪や皮膚の不快感や、アルコールのもたらす疲労感もさることながら、常日頃の何千倍にも膨れあがった、強烈な孤独感だった。
死体は彼に、目の奥で虫が這い回るような焦燥感を生じさせた。もう、あの少年はここにはいないのだ。彼はまたしても独りになってしまった。その事実が彼の心の奥底をぎりぎりと締め上げ、彼は目元が熱くなるのを感じた。
こんなことなら、あの少年がこの家を出て行くのを、その後ろ姿を自分は独りで見送ることになった方が、まだましではなかっただろうか？少なくともあの少年にとっては。
しかし自分にとっては？彼には判らなかった。少なくとも、少年を殺したことへの後悔、反省、罪悪感等の感情は、持つべきだとしても見あたらなかった。哀しみがあるとすれば、もう彼に会えないこと、また自分が孤独になってしまったことへのそれだけだった。
昨晩彼を有頂天にした幸福感は、既に遠く去ってしまっていた。ジェイは目の前の肉塊に、もはや何の親しみも友情も感じることは出来なかった。（この時の彼はまだ、死者との友誼の結び方に通じてはいなかった）
関心が薄れると同時に、少年に関する記憶も急速に頭の中から失われていった。彼はもう少年の名前も、少年の命取りとなった夢物語の具体的な内容―ここから出ていく、以外の内容―も思い出せなかった。元々、声に耳を傾けていても、話をちゃんと聴いてはいなかったのだ。強烈に友を求めながらも、彼自身は余り良い友であるとは言えなかった。
ベッドに近づいて酔いどれの幻覚でないことを確認し、また離れようと後ずさりをした時、ジェイはうっかりと床に落ちていたもう一つの眼球を踏み潰してしまったが、それが少年の眼窩で何色に輝いていたかも、もう思い出すことは出来なかった。
そして、冷静さを取り戻した頭でこの残骸の処分と、汚れた部屋の後始末を考えると更に頭が重くなった。いくら彼に無関心であるとはいえ、家族と同居しているこの館で、誰にも感づかれることなくそれが可能なのかは判らなかったが、ともかくもやってみるしかなさそうだった。
彼は深く溜息をついた。それは疲労と失望と寂寥感で構成されていた。確かに友を得られたと思ったのに、今自分にあるのは厄介な生ゴミの始末ばかり。造物主が彼に冷淡なのは今に始まったことではないが、ジェイはさらに追い打ちをかけられた気分になった。
いつか神は、彼に理想的な友人を与えてくれるのだろうか？彼は諦めたくはなかった。真の友人が出来るのと、死体処理の達人になるのとどちらが先になるだろう？
いつか孤独でなくなるのならば、これくらいの試練には耐えられるつもりだ。
しかし、とりあえず今は、掃除のために新聞紙とバケツ、そしてゴミ袋をたくさん持ってこようと思い定めると、喚き続ける頭痛をしばし―作業時間の間だけでも鎮めるべく、彼は新たなウォッカの栓を開けた。
（了）
十代から迎え酒はどうかと。
「ジェイたんの初めての殺人ってどんなかな〜。
きっと、友達に出て行かれるのに耐えられなくって、うっかり殺しちったんでないかなー」と
妄想した結果がこれ。うっかりで済ますんじゃありません。
寝室に斧がある時点で初めてじゃないだろ、という気もしつつ。
あれだ、強盗が入った時なんかの護身用に、枕元に置いてたんだよ…。えー。
2006年5月20日