冬の林道に車を走らせていたクリスチャンは、車内で大きくなるばかりの泣き声に車を止めた。そこは人気のない、静かな木々の中であった。
助手席に置かれたバスケットの中では、毛布にくるまれた小さな赤ん坊が、声を限りに泣き叫んでいた。これまで、同類はおろか人間の赤子と接することも無かったクリスチャンにも、相手が訴えているのが空腹感であるらしいことは察することができた。
しかし、そのための糧食を用意して来なかったことに気づいた彼は、この状況をどうすべきか思案した。街に出るにはまだしばらくかかるだろうし、街に出たとしても生後間もない乳児に何を買い与えれば良いのか、彼には知識がほとんどなかった。
必死な訴えを前にしばし考え込むと、彼は黒皮の手袋を脱ぎ捨て、人差し指の先を噛み切って小さな顔の前に差し出した。骨張った指先からは、黒っぽい血の玉がみるみる盛り上がってきた。
眼前の光景にナッシングは、乳首や哺乳瓶の先を差し出された赤子のように泣きやむと、差し出された物に無心に吸い付いた。それが彼の、生を受けて初めての食事だった。彼は温かい液体を、当然のようにごくごくと飲んだ。
ひとしきり吸い上げると、大きなゲップの後にナッシングは口の周りを赤く染めて穏やかな寝息をたてはじめた。どうやらこの風変わりな授乳は、同類の血を受けた赤ん坊の空腹を満たすことができたようだった。
しかしクリスチャンは、この記憶が彼の中に跡を残さないことを祈り、街に出たら人間の赤ん坊を養うための食料を買い込むことを決めた。そのため、この同類間での授血はこの時一度きりしか行われはしなかった。
15年後―ナッシングは仲間達と共に死んだクリスチャンの身体を切り開いて、その黒ずんだ血を舐め取っていた。その最中、ナッシングは哀しげな男の血の味にかすかな記憶を呼び覚まされかけるのを覚えたが、はっきりとは思い出すことができなかった。
それは彼の血と肉の奥底深くにしまい込まれていた記憶であり、初めて彼を養った賜物の記憶に他ならないことを、彼は知らなかった。そして、この死者からの授血を、彼からの再びの授乳と見なすならば、これはナッシングにとって二度目の誕生の儀式であることも、彼は知りはしなかった。
後書き
お題はＬＳやＥＣやＳＭＭやその他から。作品はＬＳより。
ナッシングを捨てにいく五日間、クリッシーはナッシングに何を食べさせていたんだろう？と思いまして。粉ミルクとか知ってるのかなあと思うと少し不安になり。子育てなんてしたことなかろうでしょうし。多分。
そんなわけで血を与えてみましたが、人間の食物を受け付ける新世代の吸血鬼よりも、受け付けない旧世代の吸血鬼の方がこの問題は切実なような気がしてきました。生まれてすぐ、血しか受け付けないんじゃー吸血鬼として認識された上で育てられるしかないよなあ。どうやって育ってきたんだろうクリスチャンって。あ、話がナッシングから飛んでしまった。
しかしお題の言葉はそのまんまだと、東洋人読者にはショッキングな内容な様ですが、聖餐式でメタファーとして出てくる時はそんなこともないはずなので、西洋人な作者には馴染み深い事項なんでしょうかね。
2007年2月19日